【喪失と再生のすすめ】

words&photos: ヨシダ

 

つい先月、シーズンが終わってしまった。

無論外岩の、

ことではなく、

(我が)ボストン・セルティックスのことである。
プレーオフ1回戦での早期敗退が決まったのだ。
東を2位でフィニッシュしただけに、これはかなりの想定外だった。

 

振り返ればここ数年で最も応援しがいのあるシーズンだった。
昨年10月末に開幕して以来、病めるときも健やかなるときも、朝起きたら、夜帰れば、そこに試合があり、勝っても負けても選手たちの真剣勝負に心を動かされ励まされ早七ヶ月。気づけばレギュラーシーズン全82試合を観ていた。

 

言い換えれば、我が家はボストンのTDガーデンであり、セルティックスボールは当たり前のようにそこにある生活の一部、習慣であった。
それだけに、予期せぬシーズン終了は甘い夢から醒めたかのようにぼんやりとしていて、
いまひとつ現実のものとして受け止められなかった。

 

一瞬大逆転勝利を夢見たファンたち。僕も全く同じリアクションをしていた。

 

 

そして追い討ちをかけるように、もうひとつ。

 

近所の銭湯が、今年の7月で閉まることになった。

 

数年前、肩の怪我に温浴がいいかもしれないと通い出し、今では週3、4回は必ず行くヘビーユーザーになってしまった僕には大打撃だ。

 

番台のおばあちゃんと世間話をする。
名前も素性も知らないけど、チ○コの大きさは互いにしっかり把握している常連さんと「お疲れさまです」と会釈し合い、ときに缶ビールを飲んで涼んじゃったりするチリーな日々。

 

 

世田谷区にある宇田川湯。

 

そんな日常が、日々身体と指を酷使し、夜ごと課題に敗れていくクライマーにとってはかけがえのないものだった。
そしてそんな日常が、どうやら夢まぼろしのごとく消え去っていく。

 

だから効いた。
とてつもなくこのダブルパンチは効いてしまった。

 

たぶん初めて「喪失感」という言葉の真の意味を理解したんじゃないか、と思う。

 

本当に悲しいこと、つらいこと、ショッキングなことを前にすると、感情というものはかたどられない、と聞いたことがあるけれど本当にその通り。
人はただ茫然とするだけらしい。

 

そしてこうも思った。

 

ホームジムを無くしてしまったクライマーたちの悲しみ、いや茫然の度合いはいかほどだろうか、と。

 

世の中には、たくさんの銭湯があるのと同じように、たくさんのクライミングジムがある。
うんざりするほど暑い夏と同じように、バスケットボールのシーズンは毎年やってくる。

 

だが、そういうことではないのだ。

 

同じ夏は二度とやってこないように、失われたものの完璧な代替物は存在しない。
その「喪失」の本質が人を打ちのめしてしまうのだ。

 

うちのジムの会員さんにも、前のホームジムが閉店してしまってから一年ほどクライミングから離れていたという方がいる。
昔はひょっとしたら、一年もクライミングから離れるなんて信じられないと思ったかもしれない。
「喪失」を知った今なら大いに納得できる。
それは当然そうなるよな、と。

 

 

 

 

5月の最後に瑞牆に行った。
陽射しは強烈ですっかり夏の様相だったが、爽やかな風が吹き抜け快適だった。
濃い緑からこぼれる陽光が美しい。

 

瑞牆山

 

初心者の連れがいたので、四の谷の低グレードで遊ぶ。

 

眼に映る光景は何ひとつ変わっていなかった。
少し開けた草地の向こう、林が始まる際にガリガリ君岩があり、さらにその奥に祭岩が見
える。

 

連れがキノコ岩の7級に苦労している。
外岩の洗礼を受けているのを見て、懐かしく思う。

 

「ティンバーヤード」のラインを見たくて、少し上の材木岩のほうに行ってみる。
岩と岩が重なってチムニー状になっている。

 

四の谷、材木岩。

 

この巨石は一体いつ転がり落ちてきたんだろうと考える。(※)

 

縄文時代にはあっただろうな。
狩の途中、雨宿りなんかしたんだろうか。
まさか苔を引っ剥がされて、ぺたぺた触られて登られる日が来るなんてね。

 

物言わぬ岩に勝手に思いを馳せて戻ってくると、レストを終えた連れがチョークアップをしてトライを始めるところだった。

 

リップが止まる。
ヒールを爪先に換えて乗り込んでいく。
怖さと興奮で少し震えているがしっかり踏めてそうだ。
マントルを返す。
登れた!

 

岩の上で笑顔になるクライミングはいつ見たって良いものである。

 

うん、やはり岩はいい。
いや、岩でなくても、海だって山だっていい。
いつもそこにある、失われることのない場所。

 

かつて在った、そしてこれからも在り続けるだろうという達観めいたものが、ふわっと脳裏に訪れる。
この無垢な信頼が、クライマーを岩に(あるいはきっとサーファーを海に)分かち難く結びつけてしまう理由なのだろう。

 

瑞牆の半永久的に存在する岩々と、人間の儚い時間性の中で営まれるジムでは比べ物にならないが、僕らのジムもできれば長く、いつだってそこある、皆の拠り所のような場所であればいいなと思う次第である。

 

 

※ 瑞牆山は約1000万年前に、マグマが噴火せずに地下で冷え固まり、それが隆起してできた山だそう。日本列島に人類が到達したのは約3万8千年前だから、気の遠くなるようなタイムスパンである。以下に詳しい。(『地球を感じる山登り』: https://chikyu-yama.online/mizugakiyama-geology/)

 

 

 

 

words  ヨシダ

都内のとある小さなジムに勤務
柔軟性を生かしたキョンでフロアを沸かせたい
ビールとNBA(セルツ推し)と本が好き